「傾聴は、心をわかることだけが大事。」
むかし、わたしもそう思っていました。
でも、今は違います。
「傾聴は心と技術の相乗効果だ」
と思っています。
相手を思う心だけでも足りないし、
技術だけでも足りません。
学びて思わざればすなわちくらし、思いて学ばざればすなわちあやうし
2500年前の孔子の言葉です。
この教えはいろいろな解釈ができますが、
傾聴に当てはめてみることもできます。
つまり、
いくら傾聴の知識やスキルを学んでも、
そのもととなる思いが足りない。
あるいは不純であれば、本当にわかったとは言えない。
また、いくら思いが強くても、
それを実現できる道筋を持っていなければ、
それは独りよがりなものである。
思いとそれを具現化する行動はワンセット。
人間は感情優位な生き物ですが、
社会生活では感情を無視する傾向が強く、
そこから精神的肉体的な問題が起きますから
心をどのように取り扱うかは大切です。
新米カウンセラーだったときの私は、
日常につかれ、想いを重視するあまり
具体的な手法をないがしろにしていました。
「心だけわかればいい」
と。
でも、心がわかるとは何なのか?
自分はわかったつもりでいても、
相手が感じている世界とは程遠い、
自分が勝手に感じたもので理解した
つもりになっていたことに気が付きました。
そしていま、
相手の気持ちをわかりたいと思う強い気持ちは、
気持ちをわかるための一つの方法とセットになって
話し手と確認をしながら、
お互いを理解しあうようなやり方に変わっています。
「気持ちがわかる」
という定義をはっきりさせたことで、
それに近づいたか遠ざかっているか、
確認することができることに安心感を覚えます。
・・・
何か一つのことを極めるためには
一つのことに集中し、偏る姿勢が
必要なことがあります。
でも一つに偏ることは同時に、
柔軟性がない思考も生み出しますね。
「何のために偏るのか?」
目的を考えてみると、
個人的にはそれは最終的には、
「変化を好まない自分をみとめ」
「自分の中の恐怖の感情に気づく」
そして最終的には、
「右も左もなく自分もは違う考えを広く受け入れられる自分になること」
のような気がするのです。
他人と自分の考えが違っても、
自分は何かを失う心配がない精神状態。
社会と自分両方への安心感のようなものを得るために
一つの価値観にこだわる時期も必要です。
右も左も理解できる自分である状態こそ、
「自信がある状態」
ではないでしょうか。
大切にしたいものがあるのはいいことですね
でも、そのことと
他の人の価値観に拒否感を持つことは
まったく別のことであります。
拒否感は相手ではなく自分の心から生まれる問題です。
【この言葉を自分に言ってみよう!】
「自分を大切にしたいなら、他人も大切にする。他人を大切にしたいなら、自分を大切にする。」
大切にするとは
言いなりになることではありません。
なにが大切にすることなのか?
まずそこから定義しないといけませんね。
これをお読みいただいているあなたは、
自分を大切にできている実感がありますか?
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