長生きは人間性の裏付けになるのか?

出張先の大阪から、始発の新幹線に乗り

帰ろうとした時のこと。

ポイントがたまってグリーン車に乗れるので、

頑張っているご褒美と思って、

グリーン車に乗りました。

始発駅なので、少し早めに電車はホームについて

出発まで車内でくつろごうと思ったのですが・・・。

私の席は、車両の後ろから3番目でしたが、

なにやら車両の一番前のほうが騒がしくなりまして。

60代と思われる男性二人が口論を始めていました。

内容は、

「ぶつかった」「ぶつかってない」

の言い合いから、だんだんエスカレートして

「暴力をふるった。訴えてやる!」

と。

どちらも口調が荒いので、たまたま出会った同士

組み合わせが悪かったといえばそれまでですが、

狭い車内。

動きにくかったり、体が触れることはあっても、

わざわざこれから遠くに出かけようとする人が、

わざわざ暴力を振るおうなんて思うことはないわけで。

どちらかというと、

言いがかりをつけ始め、辛辣な言葉を

もう一方に浴びせかけている

言い出しっぺの人のほうがおかしく見えたのでありました。

「俺は正しい!」

と、相手に怒鳴り散らして止まりません。

新大阪から京都をだいぶ過ぎるまでですから、

時間にして30分くらいでしょうか。

その近くに座っていた赤ちゃん連れの女性は、

耐えかねて、車掌さんと小声でやり取りして、

別の車両に移っていきまして。

その姿を見て

「じゃあ車内にいる全員に、その喚き声を聞かせて、迷惑をかけているのも正しいのか?」

と、心の中で突っ込みを入れながら、

途中で止めに入ってきた車掌さんとの

やり取りを見守っておりました。

新大阪から京都をだいぶ過ぎるまでですから、

時間にして30分強でしょうか。

車掌さんに促されて、途中でデッキに移動したのですが、

まあうるさいこと(汗)。

よくあそこまで、他の乗客の迷惑も省みず、

自分中心でいられるものだと、

腹を立てつつ、感心したのでした。

・・・

年配者を敬わなくちゃいけないのはわかります。

でも、長生きしたからといって人格の高さや人柄は保証されません。

先日もニュースで、電車の席を譲る譲らないで、

乱暴な言い方の若者と、これまた

乱暴な言い方の年配者のやり取りが話題になっていましたね。

年が違えば立場が変わりますが、

立場が変わっても、乱暴な言い方が同じなら、

どちらがいいも悪いもないでしょう。

今回の新幹線もそうですが、

年齢に関係なく、似た者同士が

いがみ合っているだけなんですよね。

そう思うと、年配者をどう敬うか考えるよりも、

自分が年を重ねたときに、どのような人間であるかを

一生懸命考えて行動するほうが、

大切な気がするのですが、いかがでしょうか?

他人のことは変えられないのが現実です。

だからこそ、将来の子供たちに、自分の姿をどれだけ

見るに足りる姿に整えて見せるか。

他人のことより、自分のことのほうを

整えるほうが大切だなと感じたのでありました。

「人のふり見で我がふり直せ」

とはよく言ったものであります。

そう思うと、自分が当事者でなければ、

あの現場に立ち会えたことは、

いい勉強と思えたのでした。

【この言葉を自分に言ってみよう!】

「人に腹を立てている時間があるなら、自分を見直そう」

言い合いの様子を見て、一瞬腹を立てていた

自戒の念も込めた言葉であります。

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