春になり、息子の保育園の担任が変わった。
そして、先週までの担任は
変わっただけでなく、退職していなくなっていた。
顔写真入りの今年の職員名簿を見て初めて知った。
上の娘が保育園の時は、行事にもすべて出席し、
先生たちとも親しかった。
今通っている下の息子の保育園は、
なんとなくその時と園の雰囲気も違うし、
こちらも仕事が増えて、行事もほぼ出なくなった。
先生たちの距離も離れている。
なので、顔はわかるが、名前がよくわからない先生が多い。
知っていたはずの担任も、
残念なことに、いざ思い出そうとすると
顔は思い浮かぶのに、肝心の名前が出てこない。
出てこないのは気持ちが悪い。
仕方ないので、息子にたずねてみた。
私「あのー、背が小さくて、メガクリっとして、髪が短い先生の名前なんだっけ?」
息子は答えた。
息子「知らなぁい」。
私「いやいや、そんなはずないって。担任(といっても5歳児にはわからない)・・・というか、ほら、あの先生。遠くからバスで通っているって、まえ君が教えてくれたでしょ、あの先生だよ。」
息子「う~ん。知らなぁ~い」。
私「・・・(お手上げ(汗))」
息子は、先週まで自分をかわいがってくれていた
先生がいなくなったのに、さみしがってもいなかった。
その様子を見てわかった。
「子供には、いまがすべて」。
過去に引きずれるのは、大人だけなんだと。
子供は、今日1日が楽しかったら、
きのう一緒にいて楽しかった先生は、
いなくても大丈夫なのだ。
ところが、大人の方は良くも悪くも、やたらと過去を引きずりたがる。
この違いなんだろうと考えてみた。
そして気づいた。
きっと「学習効果」だ。
・・・
自分が、子供の頃のを思い返してみた。
すると、あるとき、引っ越していく、
さほど仲が良いわけでもない
同級生にお別れの手紙を、書かされた記憶がよみがえった。
書いてあげることは決して悪いことでもない。
もらったら方は、嬉しいかもしれない。
でも、そのとき手紙を書いていた時の私の心情は
決して書きたいとは思っていなかった。
先生に言われたから書いた。
みんなが書いているから、自分も書いた。
ただそれだけだった。
いま思えば、それはお別れを残念がるように
しつけられていた気がした。
子供より、大人のほうが過去に引きずられやすいのは
過去にこだわるように、学習してきた効果ではないだろうか。
真偽は確認できないが、
とにかく大人は、古きよき過去に浸りたがるし、
許せない過去を引きずりたがる。
過去とともに生きたがる。
・・・
むかし読んだ、アメリカンインディアンの教えの本に、
アメリカンインディアンは身近な人の死を悲しまない
と、書いてあったのを思い出した。
まるでお祝いであるかのごとく、宴を開くのだそうだ。
(本当だろうか?)
だとすると、やはり過去へのこだわりは
人間の本性ではなく、学習の成果なのだ。
そのことに気が付いて自問してみた。
「もしかして、私は、手放してもいい過去に、とらわれているのではないだろうか?」
その答えはすぐには見つからなかった。
でも、自問をする前に息子に対して感じていた、
「なんてふとどきで、恩知らずな子なんだろう」
という感情は、
「自分が過去にとらわれているだけ。」
という解釈に塗り替えられていた。
そして、先週までのことは気にもせず、
今日楽しかったと悪びれる様子もなく喜べる、
5歳児がちょっとうらやましく思えた。
【この言葉を自分に言ってみよう!】
「過去ではなく、いまを生きてみよう」
過去へのこだわりが学習の効果なら、
今から違う学習をすれば、
過去は手放せるに違いない。
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