とくに急いでいない、ある日。
駅の地下改札を入ったら、
「まもなく、2番線に東京行きがまいります」
と、乗りたい電車が来るアナウンスが流れた。
歩いて階段をのぼってもおそらく間に合う。
でも、
駆け上がる走る必要ない階段を
あえて「よし!」とスイッチを入れて、
駆け上がることにした。
なぜ、そんなことをわざわざしたかというと。
・・・
5年前にダイエットに成功して以来、体はいつも軽い。
でも、運動する趣味やジム通いしているわけでもない。
体は、なまる。
ときどきあえて自分で負荷をかけないと
体を使うときもない。
だからあえて、ときどき
意味のない負荷でも、かけるようにしている。
自宅帰りの通勤路をわざわざ遠回りして
帰った経験がある人がいるなら、
その人に似ているかも知れない。
・・・
階段は駆け上がろうが、歩いて登ろうが、
そんなことは、どちらでもいいのだけれども、
どうも世の中を見ていると、
少し負荷がかかると、すぐ折れてしまう人がいる。
その人はきっと、負荷がかかってくる前に、
英気を養う(精神力をロスしない?)ために
日ごろから、出来るだけ負荷がかからないように
過ごそうとしているのではないだろうか。
それは、必要があってしているのはわかるけれども、
でも、休めば休むほど、さらに
ストレスへの耐性は弱くなるのも事実。
元気がない人は仕方がない。
でも、元気がそこそこある人は、
人に負荷かけられる前に、
自らの意思でときどき、負荷をかけるのをお勧めしたい。
負荷の大小が問題なのではなく、
自分からの「意思」で、自分に負荷をかけられるという
事実そのものが大切。
自分に負荷をかけた小さな経験の積み重ねは、
自信となって身についてくる。
自分にかける程度の負荷に耐えられない人は、
外からかかってくる負荷には耐えられない。
それは、相手がこちらに気を
使ってくれないからいけないのではない。
他人は初めから、気なんか使ってくれない。
自分に気を使いすぎて、日ごろから負荷かけないと、
他人からも気を使ってもらわと、
生きられない人になってしまう。
鬱の人に負荷をかけたほうがいいとは言わない。
でも、なんとなくやる気が出ないくらいの動ける人は、
自分で自分に負荷をあえてかける練習をしよう。
負荷をかけることが目的だから、
内容に意味なんかなくていい。
何をすればいいか悩むなら、何も考えず、
とりあえず最寄り駅まで全力で
「走るために、走ってみたら」
どうだろうか?
人生そのものには、はじめから意味はない。
ちいさくても、人生の意味は、
自分で決めてこそ価値が生まれる。
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「些細でもいい、自分が生きる意味を、自分で作ろう」
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