数週間前、やることが多く3~4時間睡眠が続いてた。
ある朝、洗面所で歯を磨きながら、
鏡に映った自分に向かって心の中でこうボヤいた。
「最近、自分の時間がないよな・・・」。
ところが、次の瞬間、
そうつぶやいた自分に疑問を投げかける
別の自分の声が聞こえてきた。
「自分の時間って何?」
と。
「自分の時間とは自分で自由に使える時間・・・か?」
ボヤいたほうの自分が答えた。
すると、別の方の自分が
その答えを否定してきた。
「オマエがいま『やること多い』って言ったけど、それをやると決めたのは誰?」
それは、・・・私自身だった。
事実、私がしていることは、
誰かに頼まれてしていることではなかった。
自分の将来をよくするために必要と思うこと。
あるいは、
いまやっておかないと、
自分の将来に不安の影を落としそうなこと。
積極的でなくても、自分を防衛するために、
いま必要と判断したことをしていた。
後で怒られたくないという想いも含めて、
だた、自分が必要と思うことを、
自分で選択し、決定してやっていただけだった。
自分で選択してやっていることなのに、
「自由がない」という表現は、
ボヤいた方の私にも、いささか腑に落ちなかった。
「それは、『自由に』自分が決めた事だろう。」
別の方の自分がはっきり言った。
(たしかに)
・・・
人生には、
「やらなければいけないこと」
があるような気がする。
イヤな仕事、勉強、ダイエット、整理整頓、貯金・・・。
でも、実際はやらなければいけないことなどない。
人が何かをやろうと思う時、
その意欲となる源泉は「2つ」しかない。
1つは、それをやると
「いいことがある」と思うとき。
人はないかを得たいという意欲で動き出す。
2つ目は、それをやらないと、
「悪いことが起きる」と思うとき。
人の心は、自分の安全を守るために動く。
つまり人は、
「褒美を増やすか?」
「罰を減らすか?」
で動く。
それ以外の動機では動かない。
補足しておくと、もちろん、
「~すべき」という道徳心が
ないと言っているのではない。
その「道徳を守りた」という心も含めて、
「守ることで自尊心を保ちたい」
あるいは、
「守らないことで、自分はダメな人間だと思いたくない」
というものが得られる。
・・・
これを読んでくださっているあなたは、
今日一日、あるいは最近、
やりたくないけれど、やらざるを得ない
と思ったことはないでしょうか?
でも、それは、やらざるを
得ないように思えるけれど、
それをやることによって、
必ず「何を」を「得ている」はずです。
「なんでこんなこと、私がやらないといけないんだろう・・・」
「なんで私がこんな目に、合わないといけないんだろう・・・」
日々の生活の中では、
そうボヤきたくなることもきっとあるでしょう。
やらずに済むことならば、
やらないという選択肢もあります。
でも、もしどうせやらなければいけないことなら、
褒美を増やすにしても、バツを減らすにしても
「自分が選んでやろうとしているんだ!」
と、
自分の意思でやろうとしていることを、
しっかりと自分の中で確認して
からやってみてはどうだろうか。
同じやらされ仕事でも、
やらされたままやっているのと、
やろうという意思を持ってやるのとでは
得るものも結果も少しも変わる。
なにより、
やらされていると思うと自信を失う。
やっていると思えば、自信につながる。
あえて自分を不自由な人間にする必要はない。
人生を選択しているということ自体、
自由になることなのだから。
自分から自由になってみてはいかがでしょうか。
【この言葉を自分に言ってみよう!】
「意思を持てが自由になる」
そう思ったら、鏡の前で歯を磨いている今の自分は
起きているときも、寝ているときも、
いつでも、それを選択し、
自由に生きているだけの人間に思えて
少しワクワクしてきて、気合が入った。
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