人は「悪いことがあるから、幸せになれない」
という勘違いをしやすい。
・・・
11歳の娘とはLINE友達になっている。
(家族なので当然)
ある日、自分のスマホに表示されている
娘のLINEのプロフィール欄をふと見たら、
いつのまにやら、みんなに見せる
一言プロフィール欄に
「心に闇があるのでお気をつけて!」
と書かれていることに気付いた。
「どんな闇なのか???」
興味を持ちつつも、
娘はYoutubeを見るのが好きなので、
「どうせいつも見ている動画サイトの、誰かのキャラをマネでもしているのだろう」
と、特に触れず受け流すことにした。
でも、
闇があるのが本当ならば、
その原因の半分は、よく叱る私の責任かもと思った。
その日の午後、
たまたま家の2階にあるリビングにいたら、
1階の玄関をガチャガチャ開ける音がした。
娘が小学校から帰ってきた。
その瞬間、心にイタズラ心が芽生えた。
「驚かしてやろう!」。
リビングの入口の扉の脇にある
死角に身を隠して、待った。
「ドン、ドン、ドン・・・」
娘が、階段登ってくる音がする。
「こんなドキドキ、いつぶりだろう」。
とても楽しい。
娘の階段を昇る足音が、
近づいてくるにしたがって、
足音以外のあるものが聞こえたきた。
「フンフン、フフーン♪」
娘は、鼻歌を歌っていた。
その瞬間、先ほどの心の闇の話が脳裏によみがえった。
「心に闇があるヤツが、鼻歌うたうか?」
心の中で突っ込んだ。
そして、
ついに、リビングの扉を開けた。
その瞬間、
「わぁ!!!」
と、低い声で驚かせてみた。
下手をすれば、驚いた娘に
激怒されるリスクもあった。
娘は、顔が一瞬(でも相当)ひきつったあと
「びっくりしたぁ~、ハハハハ(笑)」
と笑った。
その表情を見て思った。
「笑える子でよかった」。
・・・
心に闇はあってもいい。
鼻歌が歌えないほど、深い闇でなければ。
心に闇はあってもいい。
笑えないほど、硬い闇でなければ。
抱えられるくらいの闇なら、
私自身も持っている。
過去には、抱えられないくらいの
闇を抱えたこともある。
その時は、のたうち回ることになるけれど、
いつか誰かに助けを求めればいい。
闇の原因の一つかもしれない、
私に相談しにくければ、
他の誰かに頼ればいい。
闇は、なければ幸せだろう。
でも、
闇は、抱えていても、
幸せになれることを知っている。
激怒されなかった安心感と、
娘の闇があまりに深すぎないことが分かった安心感。
両方がごちゃ混ぜになりながら、
内心ホっとした。
【この言葉を自分に言ってみよう!】
「●●だから生きられない→●●でも生きられる、にしよう!」
欠点や短所を見つけると
すぐ直そう、改善させよう、
とする人がいる。
それは「いい悪い思考」が強いからそうなる。
欠点や短所はあっても人は幸せに生きられる。
そう信じていれば、
むやみに改善活動をしようとはしないはず。
いいものがあるから、
自分は素晴らしいと思うのは、
条件付きの愛。
「欠点や短所があっても、自分は生きられと信じる」。
それこそが、本当の「自信」でしょう。
あなたは、出来ない自分にさえも
丸を付けられる自信がありますか?
自分に丸さえ付けられれば、
他人に丸を付けるのも簡単になります。
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