いつまでたってもなくならない質問は、
「質問されたときどう対応したらいいでしょうか?」
という質問。
カウンセリングのマニュアルにはよく、
「答えは与えず、ただただうなずき、あいづちしてそこにいるのです・・・」。
なんて書いてある。
でも実際それを試みてみると、
なんとなく、答えられないのをごまかして
逃げているような感じがしたりする・・・。
そんな人はいないでしょうか???
・・・
あまりに質問されることが多いこの質問について、
今日はちょっと触れようと思います。
まず、ハッキリさせておかなければいけないことは
「答えないことが正解でも、目的でもない」
ということ。
だいたい、
「どうしたらいいでしょうか?」
と質問する前には、必ず
「私はこうしたいのだけれど」
と願望が先になければおかしい。
たとえば、
「私はどの電車に乗ればいいでしょうか?」
といきなり訊いてくる人はいません。
「大阪に行きたいのですけれど」
とか、どこに行きたいとか
願望とか目的が先にあるでしょう。
願望や目的がない質問にしてあげられる
アドバイスはありません。
「私はどこに行きたいのでしょうか?」
といわれても、
「そんなの知るか!」
で普通おしまい(笑)。
まず、その手の質問には答えなど
初めからないから答えられない。
まずそれが一つ。
でも、もしそれがカウンセリングであれば
どこに行きたいのか探る旅に
一緒に出るんですね。
つまり、
「私はどうしたらよいのでしょうか?」
と質問してくるクライエントと、
「質問されたら、私はどう対処したらよいのでしょうか?」
と知りたくなるカウンセラーの心理は同じ。
転移と逆転移なんですね。
まずそれに気付きましょう。
(あとで役に立ちます)
・・・
まず「どう関わりたいか」ありきということ。
そこではじめて「どうしたい」が決まる。
「答えあげたい?」
「気持ちに寄りそいたい?」
など、なんでもいいから「こうしたい」が先。
あなたがやりたいことによって、
正しい方法はいくらでも変わる。
整理すると、
①現象(質問されて困った)
↓
②方法(どうしたらいいか?)
ではなくて、
①現象(質問されて困った)
↓
②願望(私は本来こう関わりたいと思っている)
↓
③方法(どうしたらいいか?)
構造は、A.エリスのABCDE理論と似ている。
また、
総論的には「寄りそいたい」といいつつ、
目の前で質問されたとたんに
「質問されたからには、答えなければいけないのではないか」
と、自分に責任を負わせて、
ドキドキソワソワする人がいる。
その人は、相談を受ける者としての立ち位置がブレている。
・寄りそうことを貫きたいのか?
・答えを与えることを貫きたいのか?
・寄りそいたいといいつつ、そわそわしていしまって適当に答えるのを貫きたいのか?
どれでもいいので、
どの様な支援者に自分がなりたいか?
自分の立ち位置から見直した方がいい。
でないと、方法は決まらない。
・・・
カウンセリングの本では
「質問されても答えない」
と習うことが多い。
それは
「寄りそうという立場を貫くなら」
という前提。
また、
「答えない」ことが目的でも方法でもない。
寄りそおうとするなら、
方法で答えようがないのと同時に
自分のことなのに、他者に質問せざるを得ないくらい
迷い、戸惑っている目の前にいる
クライエントの気持ちを感じ取らなければ
寄りそうことはできない。
「答えないでおこう」
と思って黙っているのではなくて、
「相手の気持ちを感じ取ろう」
としていてるので、答えている暇も、
「答えないでおくのが正しいだろうか?」
などと考えている暇もない。
要するに、
クライエントにどういう態度を
とるのが正しいのか、方法の問題ではなくて
自分が何を相手にしたいのか?
自分がどうありたいか?
自分への態度が不明確であることが、根っこの主訴にある。
・・・
また、
「質問されたら答えてあげなくちゃ」
という人の多くが、
「質問されたら答えてあげる」
という以外のよい方法をもっていないことが多い。
仮に、
「寄りそうという方法がいいでしょう」
とアドバイスなどされても、そのスキルを持っていない人に向かって
出来ない方法をアドバイスしても仕方ない。
そして、その人が、
自分がどう聴きたいのかが、
よく定まっていない人ならなおさらアドバイスの意味はない。
・・・
もし寄りそうスキルが完ぺきにできる人なら
はじめから私に
「質問されたときに、どのように対応したらよいでしょうか?」
という質問はしてこない。
寄りそう方法が身についてしまえば
その質問は二度と来ない。
(1)寄りそえないからその質問をしたくなる。
(2)寄りそうのがいいですよと言っても、どうせ今はできない
この2つがわかっているので、
私は何も具体的なアドバイスをしない。
出来ない自分に対する思いを聴きつつ、
本来どうありたいのかを見つめても大丈夫なように寄り添う。
もし、出来るアドバイスがあるなら、
「寄りそえないから、その質問をしたくなっている」
その自分にまず気付きましょう、というくらいですね。
(それでも十分おせっかいな気がしますが)
あなたが抱えている問題は、
相手に対する態度や方法の問題ではなく、
その根っこにある自分に対する不確実さにへの不安なのです。
・・・
また逆に、私から方法でアドバイスされて
納得してしまうなら、それはそれで大問題。
なぜなら、
あなたは相談を受けるはずの人なのに
「外から答えをもらって喜ぶ」
という脳のクセがついてしまっているから。
「外から答えをもらって喜ぶ人」は、
逆の立場になったとき、
外から答え(らしきもの)を、あげたくなって当然。
人は自分を見るように、他人を見る。
そういう相談の乗り方もあっていいけれど、
あなたは、本当にそれがしたいのか?
ということ。
結局最後は、
「自分はどう人と関わりたいのか?」
に戻ってくる。
「何をしてあげるのが良いことか」
考えているうちは、少なくともカウンセリングや、
寄りそうという支援にはならない。
・・・
では、もし答えずに寄りそいたいなら
どうしたらいいか?
最後に、ヒントをひとつ。
あなたが答えをあげられなくて困っている
そのなんとも言えない、モヤモヤした感覚は、
あなたに「どうしらたいいでしょうか?」と
答えが見つからず、問いかけてきた
クライエントの感覚と同じモノ、
あるいは非常に近いものと考えてみてはどうでしょうか?
「この私が抱えているモヤモヤ感は、目の前の方が感じているモヤモヤにちかいかもしれないなぁ」
と。
(あくまで「かも」ですけれど)
その、あっちもこっちも、
何ともできないモヤモヤの中に
身を置くことことそが、まさに
「寄りそう」ということに近いと思うのです。
入り口に困ったらよかったら、
やってみてください。
・・・
なので、まとめると、
寄りそいたいときも、ちゃんと質問に答えているのです。
でも、
質問された「事柄の中身」に答えるのではなくて、
質問したくなる「目の前の人の気持ち」に
しっかりと応えているというわけです。
その違いが分かれば、
ソワソワせず、相談に乗りやすくなるでしょう。
【この言葉を自分に言ってみよう!】
「私はなぜ相談に乗るのか?どんな風に支援したいか?」
もう一度自分の中で、確かめてみてはいかがでしょうか。
人は、他人との対話を通して、
いつも自分の本性と出会ってしまうのです。
相手よりまず先に、自分を観ましょう。
その大切さをC.ロジャーズは「一致」と呼びました。
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