悲しみの押し売り

きのうの記事と同じ話題の続きです。

(きのうの記事「親切という名の暴力」
http://bit.ly/2jHAzGT

成人したお子さんが最近、

自死された親御さん、

いわゆる自死や遺族の話です。

「何で悲しんでないの?」

「そんなに普通でいられるのはなぜ?」

そう周囲の人から、疑問に思われ、

説明を求められるのだそうです。

まるで、取り調べのようです。

なので、その親御さんは、

自分がそれほどもう落ち込みすぎおらず

元気でいることを周囲の人に

話せなくなってしまいました。

言えば似た状態が増えるので。

当然、家族が自死したことも話しにくくなりました。

なぜ、家族が自死をした遺族が、

生きている他人たちに対して

こんなにも気を使って

生きなければいけないのでしょうか?

家族が自死したからといって

引きずり過ぎていないのは、

そんなに「イケナイ」ことでしょうか?

むしろ喜ばしいことのはずです。

・・・

「自分が同じ立場だったら悲しいだろうに、なぜあなたは悲しくないの?」

「悲しくないはずはない」

「こんなに早く受け入れられるはずはない」

自分の価値観で理解し、分析し、

自分が納得しやすいように説明が欲しくなる。

親切のつも有が、無意識のうちに、

「もっと、悲しんでいるべきだ」

というメッセージを

送ってしまう。

・・・

こんな話もあります。

知人は、自死遺族の支援の会

というがあるのを知り、

一応、参加してみたのだそうです。

そこで自分の現状を話したそうです。

すると、

まだ家族の死から

ひと月ほどしかたっていないのに

意外と笑顔で落ち着ていているせいか

こう言われたそうです。

「泣いていいんだよ」

と。

べつに泣きたくもないのに・・・。

「悲しみに押し売り」

ですよね。

そして、その親御さんが、

家族の自死を受け入れている様子を

疑うばかりで、どうしても

受け入れてくれなかったのだそうです。

「気づいていなくても、あなたはもっと悲しいはずだ」

とでも、言いたいのでしょうか。

・・・

支援活動をしている方の中には、

ご自身も「似た体験」を

持っている方が多いようです。

人間の脳は、似た体験があるだけで

「同じだ」

と思いたがります。

すると逆に、

同じではない部分が受け入れにくくなり、

自分の価値観で解釈し

押し付けてしまったりします。

それが「いいこと」だと思って。

でも、体験は似ていても、

感じ方は人それぞれ。

その、人それぞれの違いを、

ちゃんとわかって

あげることも「支援」でしょう。

・・・

むかし、

交通遺児の子を支援するNPOと

関わっていたとき

学んだことが2つあります。

一つには、

「似た経験がある人にしか、わからない世界がある」。

ということ。

学校では、親が亡くなったことを

友人などに言えず

苦しんでいる子もいました。

でも同じ経験を持った者同士

だから分かりあえる。

そういう世界は貴重です。

でも、

もう一つ学んだことがあります。

それは、

「体験した事柄が似ていても、感じ方は一人一人違う」

こと。

「相手の気持ちを大切にするのは大事」

と頭ではわかっていても、

それがなかなかできずにいる人もいます。

・・・

理解してもらえず、

「あなたは、元気になったのではなくて、ショックが大きくてまだ悲しむことすらできずにいる状態。心にふたをしているのです」

というメッセージをたくさん受け取った知人は、

「私は、悲しまなければいけないのだろうか?」

と逆に罪悪感を持ったそうです。

そしてこう言いました。

「もうあそこには、行く必要かない」

と。

親切というのもとで

その人の感じ方を「否定」してはいけません。

・・・

自死に限らず、様々な

支援が必要な人はたくさんいます。

でも、仮に90%の人が

その場の支援により救われたとしても、

残りの10%の人が

「そこ場に行ったがために傷ついて帰る」

ことになったとしたら、

それでいいのでしょうか。

役に立っている部分が大きければ、

傷つけることがあっても

いいのでしょうか?

もちろん、

すべての人を救うなんてことはできません。

でもせめて、救わなくてもいいから、

そこに行かなければ、

傷つかずに済んだはずの人を、

「そのまま、傷つかない状態で」

帰して欲しいのです。

ぜいたくな望みでしょうか?

具体的には、

人の話を聴くときは、

経験でわかったつもりにならず、

自分の見立ては横に置いて、

まずは目の前の人が訴えていることをすべて

そのまま受け止めてあげる。

たった、それだけで、

支援が必要な90%人は支援が受けられて

そこでは支援できない10%の人も、

余計に傷つかずに帰ることができます。

悲しんでない人を、悲しんでいる人に、

わざわざ変えないであげてください。

・・・

知人はこう言っていました

その集いに来る人は、たしかに

急に家族を亡くされて、

現実として受け止めきれずに

いる人がに多かった。

将来が見えなくて絶望している人もいた、と。

「だから、自分がちょっと特殊で、おかしいのかもしれない」

と。

なぜ趣旨に合う悲しみ方をしている人は

受け入れてもらえて、

趣旨に合わない悲しみ方の人は

みんなと同じように悲しむことを

押し付けられるのでしょうか。

理不尽に感じます。

・・・

親切のつもりでも、

「泣いていいよ」と言うのことはその裏に

「泣かないのはおかしい」

というメッセージが隠れています。

「気持ちを全部吐き出していいよ」

という裏は、

「吐き出さないとダメだよ」

という価値観の押し付けです。

つまり

「あなたは、傷ついているはずだ」

「もっと悲しいはずだ」

さらに、

「悲しめ。悲しまないと支援できないじゃないか」

というメッセージまで

含まれていると言ったら、

言いすぎでしょうか。

でも、それくらい怖いものを感じます。

悲嘆の受け入れ方は人それぞれ。

相手が感じられている世界、

感じられていない世界が、

いま目の前の人のすべて。

不要な被害者を増やさないために、

そのままを受け取ってください。

【この言葉を自分に言ってみよう!】

「悲しんでない気持ちを否定して、悲しませてはいけない。」

<支援活動をしている人に確認して欲しいこと>

1.解釈、経験、知識で相手を見ることが多くなりすぎていないか?

2.分析してみていないか?

3.決まった方向に誘導しようとしていないか?

4.そして何より、目の前の人の「いま」をそのまま、深く受け止めきれているか?

5.自分との違いを受け入れにくくなっていないか?

悲しみの押し売りはやめましょう。

<お知らせ>

自分の立場を押し付けず、

相手の立場で寄り添う傾聴。
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http://bit.ly/2qvtDuo

 

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