そして誰も救えなかった親切

いつもありがとうございます。

10年前から、コーヒーはブラックで一日2、3杯で固定。

コーヒーが体にいいといううわさも、悪いといううわさも気にしない、

芯が固めの、岩松正史です。

“「親切」という感じは親を切るという意味ではなく、身近に親しく感じるという意味らしい。では、身近に感じていたら、ぜんぶ親切になるかというと、そういうわけでもなさそうだ”

知人の息子さんが亡くなった。

まだ20代だった。

知人には娘さんもいる。

・・・亡くなった息子さんから見れば妹さん。

息子さんが亡くなったことを伝えるたびに、

周囲の人はお母さん(知人)を励ました。

そして、娘さんがその場にいるときに、

多くの人は、娘さんにこう言った。

「お母さんを、支えてあげて」

 ・
 ・
 ・

なんという、ひどい暴力だろう???

お母さんは、息子さんを亡くしていた。

でも、

娘さんは、お兄さんを亡くしていた。

兄を亡くした妹が、どうして

母を支えなければいけないのだろうか???

悲しみの深さが母より「マシ」

とでもいうのだろうか???

そして最後、

「お母さんよりも、私の悲しみの方が軽く扱われている気がする・・・」

という言葉から、娘の苦しみを知った母は。

娘を思い胸が苦しくなった・・・。

こんな見せかけの親切では、

結局、誰も助けられていないのではないでしょうか。

・・・

こんな極端な例でなくてもいいけれど、

あなたが親切だと思ってした行動は

本当に、相手のためになっているのでしょうか?

このような偏った親切(もどき)を

しないためにはどうしたらいいか???

それは、たった2つのことを守ればいい。

・自分はいつでも無力だと心から認めること

・できないことを無理にやろうとしないこと

つまり

「出来なことはだめだ」

「親切でいとダメだ」

という「ダメだ思考」が、

人を傷つける偽りの親切を生みだす。

ダメだ思考は、自分にウソをつくことを許す。

逆に、

出来ない自分を認めれば、まず自分が救われる。

そして、人を傷つける親切もどきをしなくなる。

人を傷つける親切をしなくなれば、

傷つく人がいなくなり、全員が救われる。

自分を救えない人は、他人はけして救えっこない。

そのことだけ知っていれば、親切にはできなくても

余計に人を傷つけずに済む。

それはそれで、十分「親切」ではないだろうか。

【この言葉を自分に言ってみよう!】

「親切の仮面より、無力の素顔で生きよう」

どんなに気を付けていても、

不意に人を傷つけてしまうことがある。

でも、人間のいいところは

言葉を使って、やり直しができる

可能性を持っていることではないだろうか。

もし、今日のBLOGを読んで、

過去に誰かを救いたいがために

別の誰かを傷つけてしまったかもと気が付いたら

いきなり謝らなくてもいい。

でもそのままにせず、

相手に確認をとってみてはいかがでしょうか?

<お知らせ>

家族を亡くした遺族との接し方についての講演会を

1月26日16時から京橋(東京)で開催します。

準備が遅れています。

年末年始に募集開始できるよう準備をしているので、

興味ある方は、予定をあけてお待ちください。

 

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