外出先のテレビで、引きこもり状態の20代の男の子が
Youtuberをやっているという例が紹介されていた
息子さんの将来を案じてきたお父さんは、
息子の考えていることは理解できないけれど、
やりたいことが見つかったなら、
応援したいとコメントしていた。
ある日アップしたYouTube動画を、
3000人見に来たと、息子が父に言った。
お父さんは、そのことについてこんなアドバイスを送った。
「そんなにたくさんの人が見に来てれるものなら、お客さんに喜んでもらえるようなことをどんどんやったほうがいい」
それを聞いたとき私は、
「それはちょっと息子さんの想いとは違うんじゃないかな・・・」
と思った。
そして、息子も穏やかな口調で、
でもハッキリとこういった。
「僕は、やりたいことを自然体でやっていく」
お父さんは、黙ってそれを聞いていた。
・・・
人のためやって、受け入れられたら嬉しいものです。
でも、人のためにやったことは、
受け入れられれば、受け入れ入れられるほど、
自身を見失い、心の中の自分の居場所を
なくしていくことになったりもします。
息子さんが「自然体でやっていく」といったのは、
逆を言えば、人のためにするのは
「不自然体」だと言っているのと同じことです。
不自然な自分を受け入れられても意味はない、
そんな思いもあるのでしょうか。
確かに不自然に生きれば、お金が稼げることもあります。
でもそれと引き換えに、自分を失います。
いつも人の顔色を伺うことになります。
自然にやって受け入れられれば、
それが一番いいでしょう。
不自然に人のためばかり考えてきた常識的な人には、
不自然であることがむしろ自然だったりします。
不自然な人の方が、世の中に多いなら、
自分の不自然さに気付くことは困難です。
自然な人がおかしく見えます。
自然にやったことが、受け入れらた時、
本当の意味で自分への信頼が増します。
これをお読みいただいているあなたは、
当たり前の不自然で、自分を見失っていませんか???
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