小学1年生の息子は朝、決まった時間に小学校に出かける。
夜遅くまで起きているので、朝起きるのも遅い。
また、親(私)も朝準備を始めるのが遅いので、
息子の朝食時間は必然的にいつも
だいたいギリギリになることが多い。
準備と言っても、娘には弁当が必要だけれど、
息子には、夏場水筒を持たせるだけでいいので、
準備は朝食を作ることくらいしかない。
ある日、私は氷を少し入れたステンレス製の、
小学1年生にはちょっと大きめの水筒に
水を半分だけ入れいつものように食卓の上に置いておいた。
朝食の準備をすませてから、
息子も起こして着替えさせ食卓に着かせた。
その後、玄関わきの自分の書斎で
仕事の続きをしていた
小学校の出発時間になったので、
息子をインターフォンで呼んだ。
「水筒もってきてね!」
と言葉を添えて。
ほどなく、ドタドタと2階の
リビングから息子が下りて来た。
息子の手には水筒ではなく、
なぜかエアコンのリモコンが持たれていた。
「リモコン???」
と指をさして訊くと、息子は少し恥ずかしそうに
「間違えた」といって、リビングに戻っていった。
そういえば・・・。
水筒を食卓に置いたとき、
横にリモコンもあったことを思い出した
息子は水筒を目で見ながら、
横にあったリモコンを手にとってしまったようだ。
喉が渇いたときにリモコンは使えない。
近くに置いてあったからと言って
まったく別の物なのだから。
・・・
「自分の成功体験」
というのは出来れば誰かのために
使えたらいいと思うでしょう。
でもそれももしかしたら、
水筒とリモコンと同じなのかもしれません。
自分には身近なものだからといって、
相手も同じだけ身近に感じてもらえるかはわかららないのです。
「あなたにはこの水筒が役立つ」
といって渡したものが、
受け取る側は「リモコン」が手渡されたと
感じていたら、使えないのは明白。
「なんで?私は水筒を渡したはずなのに」
といくら言っても、受け取ったほうが、水筒であると
認識できていなければ意味がありません。
「私は水筒を渡したのだから、これはあなたにとっても便利な水筒で間違いない!}
と言い張ったところで、受け取ったほうに
そう見えていないなら意味はありません。
だから、
他人に何か自分のよき経験を
渡したいと思ったときほど、注意が必要です。
自分にはリアルに見えている分、
押しつけがましくなってしまいがちですから。
「相手にはそれはまったく別のものに見えているかも知れない」
くらいの慎重さをもってするのがいいでしょう。
よく相手の反応を観ながら、対話しながら
自分にとっての価値と相手にとっての価値が同じかどうか、
感覚を共有しながら渡していくといいです。
あなたにとってそれが
「喉を潤してくれる水筒である」
というのは事実。
でも、相手にとって同じものに見えているか?
同じ価値を感じているか?は別のこと。
自分にとって身近だからといって、
あるいは、自分の身近にいる人たちだからといって、
近くてもまったく別なものだということを
知っておくと、おかしなすれ違いは起きにくくなります。
あなたにとっては水筒。
でも、相手にとってリモコンであれば
喉を潤すことはできないのです。
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