会社でも国でも、
強く輝くリーダーの存在は
みんなを安心させてくれるものです。
暗闇にともる灯台のように。
光り輝くリーダーがいてくれれば、
「自分はどこに、向かっているのか?」
「誰についていけば、いいのか?」
明らかになり、安心できます。
・・・
コンビニ社員をしていた時のこと。
夏のこの時期になると、
蛾(が)やちょっとやんちゃな
若者たちが深夜のコンビニの光に
引き寄せられて集まってきます。
それも原理は同じですね。
生き物は光はに引き寄せられます。
(蛾は人じゃないか(汗))
一方、
光っていないにもかかわらず、
・・・いいえ、
光っていないからこそ
安心感を与えるもののあります。
・・・
先日、自分が主催する
勉強会に行った時のこと。
参加者の一人から言われた一言で
恥ずかしくなってしまいました。
「今日の岩松さんのBLOGを見て
勇気をもらいました!!!」
どういうことかといいますと、
「あんなに短い文章でも、
アップしていいんだなって(笑)」
「短くても、毎日書こうという
意気込みが伝わってきました!」
喜んでいいやら、
悲しんでいいやら(汗)
ただ単に、忙しくてじっくり
書く時間がなかっただけなんです。
・・・
光は外から勇気を与えます。
でも光ってからこそ
与える勇気というのもありそうです。
その違いは何でしょうか?
考えてみました。
たぶん、
外の光から出てくる勇気は
「もらう勇気」。
誰かの「光っていない姿」から
手に入れる勇気は、自分の中から
「わき出る勇気」。
外から分けてもらって
勇気が出るのもいいですけれど、
内から湧き出る勇気のほうが、
強い気がします。
・前者は、みんなと一緒に前進できる安心感
・後者は、前に進まなくても孤独にならない安心感
そんな違いもありそうです。
人は誰でも人生を前向きに
進んでいきたいものです。
でも、進みたくても進めない時も
孤独にもなりたくもありません。
そんなとき、できない自分を
受け入れられるといいですね。
「ちゃんとできていない誰かの姿」は
似たい自分を受容するのに役立ちます。
自分に自信を持つ方法は基本2つ。
・何かがとても出来るようになること
・何かが出来ない自分でも受け入れること
「共感を覚える」とうのは、
きっと後者に関係しそうです。
これをお読みいただいてるあなたは、
至らない誰かの姿を見て、
ホッとした経験はありますか?
または、
自分の至らない部分があるからこそ、
誰かに勇気を与えたことはありますか???
・至らなかった自分を責めるのか?
・それでも誰かに勇気を与えた自分をほめるのか?
自分で決めていいことですね。
自分では至らない部分だけ
気にしていても、別のいいところを
認めてもらえているのかもしれません。
勇気を与えたという事実だけは
素直に喜んでおきましょう。
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