それは傾聴か?

「傾聴されたら、気持ちが悪かった」
「傾聴されたら、違和感しかなかった」

そう言われることがあります。

正直な感想でしょう。

でもそれはもしかしたら、傾聴ではなく、傾聴のようなことをされた。

あるいは、傾聴を練習中の人がしたことだったのかもしれません。

・・・

夕食にときどきスーパーで売っている、お寿司の詰め合わせを買うことがあります。

子どもたちも大好きです。

お寿司の詰め合わせを見ると、昔、出会ったある場面が記憶から思い起こされます。

その場面とは・・・。

はじめてコンビニで見た「にぎりお寿司」の姿です。

私は、新卒から7年間、コンビニのファミリーマート本部の社員として働いていた経験があります。

でもその前に、大学1年生の秋から卒業まで3年半、ファミリーマートでアルバイトをしていました。

その時の経験がもとで、就職したいと思ったのです。

結果、第一志望の会社に入れたのですから幸せでしたね。

とにかくコンビニが好きでして。

田舎育ちのせいか、コンビニに毎週新商品が入ってくる目新しさが、楽しくて仕方ありませんでした。

・・・

昔のコンビニには、今ほど多種多様なお弁当がありませんでした。

お寿司もそうです。

寿司といえば、「助六」か「いなり寿司」くらい。

ところが、

あるとき、新商品として生の「にぎりお寿司」が入ってきたのです。

イカ、エビ、タコ、サーモン・・・

たぶん鮮度管理の問題から、「マグロ」は入っていなかった気がします。

でも、マグロは入っていないのに、「イクラ」が入っていたのです!

個人的な話で恐縮ですが、私はイクラや明太子の魚卵が大好きでして・・・。

いまでも大阪に出張で行くと、明太子食べ放題の天ぷら屋さんがありまして。

そこにで、天ぷらの何倍も明太子を食べております(10腹くらい!)。

・・・それはさておき、当時、いくらのお寿司も喜んで食べていました。

ところが、

ほどなくして、イクラに違和感を覚えました。

あの独特の口の中ではじける、プチプチ感がないのです。

どちらかというと、ゼリーっぽい弾力があるというか・・・。

保存の関係でそうなったのかと思い、製造ラベルの原材料名を見てみたら、そこにはなんと、

「人工イクラ」

と書かれていました(汗)。

(ネットで『人工イクラ』と検索をかけると色々出てきます)

私がイクラと思って食べていたものは、人工的に「イクラのように作られた」別の食べ物だったのです。

・・・

もしかして、先ほどの傾聴の話も同じかもしれません。

傾聴と思って聴かれているから、傾聴だと思い込んでいるだけで、本当は「傾聴のようなもの」なのかもしれません。

また、「本物のイクラ」も回転寿司屋さんのものと、回らないお寿司屋さんでは違うものが出てくるように、傾聴にも質の違いがあるかもしれません。

本当にそれは傾聴か?

どんな傾聴か?

・・・

自分が知っている世界がすべてとは限りません。

でも人は、自分が経験したことでしか、物事を理解できないので仕方ないことです。

本当の傾聴は心が安らぐものだといくら説明されても、実際にそのように聴かれた経験がなければ認められないのは当然です。

また、どんなに上等な傾聴をされても違和感しかないという人もいます。

それは、傾聴はそもそも「気分を良くさせる」ことが目的ではなく、「その人の存在を一人の人として認めていく」ためのものだからです。

「私は、あなたに賛成します」

と賛成、同情、同感するのではなく、

「あなたにとって、それが大事だと十分わかります」

と、その人が独自性を認めます。

それが、

「あなたはあなたのままでいい。私は私のままでいい」

という、当たり前の・・・でも認めにくい個人を尊重するということだからです。

尊重されるより依存したい人にとっては、気持ちが悪く感じて当然でしょう。

私に言わせればそれは好転反応なのですけれども、違和感がある人にとっては余計なお世話でしかありませんよね。

なので、たとえば

他人から賛成、同情、同感してもらわないと気分が悪いという人たちにとって、傾聴は決して気分がいいものではない可能性があります。

でも、

いつでも他人から賛成してもらえないといけないようでは、他人を傷つけるか、自分が傷つくか(その両方か)というコミュニケーションになってしまいます。

それで、お互いによい人間関係が保てるかどうかは疑問です。

まとめると、

・傾聴がいいものかどうかは、その人がされた聴かれ方がどの程度の傾聴だったかによる

・傾聴の目的は人を人として認めることであり、気分を良くさせる手法ではない。賛成を求める依存的な価値観を持っている人は、傾聴されると違和を感じることは十分あり得る

そして、よい聴き手は、違和感をもつその人のこともまた、そのまま受容していくのです。

よい傾聴とは、曇りのないピカピカの鏡になることです。

鏡に映し出されたありのままの姿を見て、その人がどう感じるか?

感じ方は自由。

気に入る人もいれば、

「私の本当の姿はこんなものではない!」

鏡が不良品だと攻めてくる人もいるでしょう。

鏡に映った自分の姿を、気に入ったという人も、気に入らないという人も、分け隔てなくそのまま受容する。

それがまた、傾聴がもつ機能であり、よさでもあります。

なので、

「相手から気に入られよう」という我欲をもって聴くと、もはやそれは傾聴ではなく「傾聴っぽいもの」になってしまうのです。

私自身は傾聴と、傾聴っぽいものの違いは分かるつもりでいますが、一般的には、区別がつくはずもありません。

また、人には「物事を正しく理解しない自由」、「勘違いする自由」もあります。

個人的には、本物の傾聴をもっと広めることを加速させ、救われる人が増えるのを願うばかりです。

傾聴がうまく伝わっていない現状を見て心が痛むのは、傾聴をうまく伝えきれていない自分を嘆いているからに他なりません。

自分の在り方が、相手との関係の中で映し出されてしまい、心に訴えかけてくるのです。

うまくできていない自分を見つめ、自分の心を傾聴し、受け入れていくことでまた、私の傾聴を広める旅は前に進むのであります。

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