相談を受けるとは、絶望の風呂に入ること

いつもありがとうございます。

ゴキブリでは驚かなくても書斎に大きなムカデが出没してさすがに驚いた、岩松正史です。

話を聴くというのは、
応答の仕方どうするかとか
相手に吐き出させてスッキリさせようかとか

そんな風に相手をどうしよう
などという動機で聴くのではありません。

聴き手である私が、
行き詰まりを感じるために
聴きはじめるのです。

一緒に悩むといってもいいですが、
私の場合は、むしろ、
相手以上に真剣に悩みに行きます。

相手が置かれている情景を思い浮かべながら
相手が行き詰まっているのと同じか
それ以上に、一人で悩めるところまで
行こうと試みます。

なぜかというとそうしないと、
リアルな現実の中で悩み続けてきた人に
追いつけないからです。

もともとこちらは話を聴き始める前
ついさっきまではまったく行き詰っていない
自由なところにいたわけです。

そこから追いつこうというのですから
相手以上のペースで困っていこうとしないと、
同じ行き詰まり感まで到達出来ないわけです。

相手と同等の行き詰まりを
ちゃんと感じ取れて共有出来たら、

その行き詰まり感を
どうやってなくしていくか?

それとどう付き合っていくか?
マシにしていくか?
の話し合いが出来るようになります。

カウンセリングや相談を
ちゃんと受けられないという人は
相手への対応の仕方が間違えているのではなくて

相手への対応の仕方を考えている時点で、
すでに問題の本質から遠い位置にいるので
問題解決までたどり着けないか、
表面的で浅い話になってしまうのです。

聴き始めから相手のことなんか
考えている暇はありません。

自分が感覚的な理解に
追いつくことに精いっぱいです。

とにかく、

相手が今いる世界と同じか
ほぼほぼ類似の世界感を
体験することが重要であって、

あとのことは、おまけか
余分なことでしかありません。

例えば、

あいづちや質問を相手に向かって
「入れていく」練習は、
それまでの受動的で独りよがりだった聴き方を
能動的で共感的な姿勢に変える
入口としては不可欠です。

でも、

それをしていたからといって
問題の理解が深まるわけでも
解決するわけではありません。

こちらから能動的に分かりに行かないと。

例えば、

スーパー銭湯の店舗の入り口に入っても
その店のこともわからないし、
そこにある温泉の質もわかりはしません。

風呂場の入り口まで行っても、
実際に湯船に入ってみなければ
温泉の質もよさも分かりません。

もし外から見て分かったというなら、
それは評論家の仕事であって
カウンセラーの仕事ではありません。

相手のいる精神的な世界に
どっぷりつかりに浸かって、
体感することが聴く唯一の目的です。

気持は感じなければわかりません。
気持は考えても仕方ないのです。

そして感じるためには、
そこに身を置いてみなければわかりません。

安全な位置から絶望している
人の気持ちはわからないのです。

相談を受けたいなら
自ら絶望の風呂に入りに行きましょう。

相手は先にもう使っているのです。

のぼせないうちに追いついあげましょう。

絶望の風呂に入るのがイヤなら、
はじめから悩みごとの相談など
受けなければいいのです。

受けるなら絶望の練習を
するしかありません。

あとは、自分がそれでもやりたいか?
自分と相談して決めましょう。

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<<編集後記>>

きのうは新しく届いた
スマホを一日中いじっておりまして。

これと言って大きな趣味もありませんが、
新しいガジェット(電子機器)をイジル
というのはこの上なくワクワクします。

これも趣味でしょうかね?

今日は新しいパソコンも
届く予定になっておりまして。

仕事の都合で今日中に
受け取れるかわからないのですが
受けとれたとしたら今晩も
ゆっくり眠れそうにありません(笑)

今日から2日間記憶術です。

気持をしっかり入れ直して
民さんを記憶の富士山の
頂上までお連れしましょう。

今日もいい一日をお過ごしください!




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心理学的な傾聴の説明をゆっくり学べます
→ 諸富祥彦の傾聴のねっこ(動画)

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