5歳の息子と同じ部屋で寝ています。
寝顔もかわいいし、
絵本が好きなので、読んであげるのも大好きです。
「きょうね、保育園で●●ちゃんがね、おうち作ったんだよ。」
どうでもいい、意味の分からない話も楽しい!
愛嬌のある子なので、一緒にいると
いちいち楽しいのであります。
そんな息子を見ているとつい
「お父さんは、君のことが大好きだよ。お父さんの子どもで来てくれてありがとう。お父さんは幸せだよ。」
なんていってしまうのです。
その言葉に対して、
どこまで意味が分かっているのかわかりませんが、
ハニカミながら「はぁーい」と
返事する姿も、また可愛いのでした。
一つ一つの言動を見るたびに、
心の底から幸せを感じます。
・・・
話は変わりますが、11歳の娘は
最近また、絵を描いたり、
粘土で人形などを作る創作活動に熱が入っています。
本当に飽きずにずっとやっていますね。
寝食を忘れ、気に入るところまで
集中して作っていますね。
作品が完成したときには、決まって
「ハァー。できた・・・」
と、大きなため息をついてから
満足そうにします。
その姿を見ていると、
「好きなこと」というのは、
考えて見つけるものではなくて、
心の欲求のままに、
ただ行動することなんだとよくわかります。
本当に、描いたり作ったするのが
好きなんですね。
ところが、
その大満足をしている娘は
「私は、幸せだ!」
なんていったことは一度もありません。
「私は息子に幸せといい。娘は幸せそうだけれど幸せとは言わない。」
この違いは何かな?と思いまして。
・・・
そこで思ったのは、
私も確かに幸せだけれど、
わざわざ言うということは、
「幸せと思おうとしている」
あるいは
「幸せをより感じようとしている」
のかもしれないなと。
もう少し詳しく言いますと・・・。
正直言いまして、私の中には
不安、不満、妬み、失望・・・
など幸せではない「別の何か」がたくさんあります。
そのことも気になりながら、
日々暮らしています。
その「別の何か」に気付いていて、
それに飲み込まれないために、
あえて幸せといいたいのかもしれません。
「幸せだけではないから、あえて幸せを語りたくなっている」
そんな自分がいることに気が付いたのでした。
娘がどう思っているかは知りませんが、
本当に幸せだけを感じているときに、
いちいち「幸せだ」なんて
言わないのかもしれません。
幸せを語る人よりも、
幸せを語らない人の方がもっと幸せだなんて
なんか面白いですね。
【この言葉を自分に言ってみよう!】
「語りたくなるには、わけがある」
言葉はその人の一部分しか表しません。
でも、言葉を語りたく(語りたくなく)なっている
その人の気持ちは、
100%その人自身なのであります。
・・・
幸せといいたくなっているくらい、
別の何かを抱えている自分を愛おしく思えてきて、
心の中で自分を抱きしめたのでした。
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