きょうFacebookを見ていたら、
2年ほど前に記憶術の講座を
受けてくれた中学生のお父さんが、
希望校合格しました!と投稿をしていました。
すごくよかったなと思うのと同時に、
真っ先に頭の中に浮かんできた言葉は
「おめでとう」よりも「ありがとう」でした。
カウンセリングをするときも、
講師として何かをお伝えするときも
私の中には、ある核心となる想いがあり、
それを貫きながらお伝えしているつもりです。
その核心となる想いとは何かといいますと、
「私には、何もできない」
という「核心」を「確信」しているのであります。
例えば、
カウンセリングしているときに私が
「この人を回復させるのは自分の責任だ!」
なんて思ってみたところで、
相手が提案を採用してくれなかったり、
心に熱を込めて意欲的にやってくれなかった
という経験が過去にたくさんあります。
自分の無力を痛感し、さらなる向上を目指して
頑張った時期もありました。
でも結局、うまくいくときもあれば、
うまくいかない時もあるんですね。
自分が無力であるという
現実は変わりませんでした。
なので、自分を高めるための努力はしますけれども、
「喜ばせよう」も含めて、
誰かを変えるための努力はやめ
すべての結果は相手に任せることにしました。
無理に他人の人生に責任を
負おうとしてきたときの自分は
「無力な自分ではダメだ」
と、自己否定するラベルを、
貼っていたことに気がつきまして。
現実が無力なのだから、それに
「いい」とか「ダメ」とか言うのはやめました。
そうしたら、カウンセリングでも講座でも、
結局やる気のスイッチを押すのは私ではなく、
本人だということを認められるようになりました。
裏を返せば、
「やる気スイッチを押さないという、選択をしているのも本人だ。」
変わった姿を見て喜びたいのは、
「自分の方だ」と。
「回復させるのは自分の役割だ!」
と思っていたころの私は、
責任感が強く、親切な人のようでいて、
実は、
「自分には、他人を変える力がある!」
「他人を変える力を持ちたい!」
「私が喜びたい!」
という、うぬぼれと、権力欲しかなかったことに気がつきました。
でも他人を変えられない、自分を許せるようなったら、
やる気のスイッチを押せずにいる
他人のことも許せるようになりました。
・・・
相談に乗るということも、
講座で何かをお伝えするということも
私が誰かのスイッチを入れられることなど100%なくて、
本人がスイッチを押したくなるかもしれない
環境を整えるのがお役目であって
環境づくりにだけ注力していればいい。
結果は相手が決めます。
なので、記憶術を受けた方が
合格をしました!と聞いたとき、
その方にとっての喜びは一緒に喜びますが、
自分のおかげと思ったら自惚れなので喜びはほどほど。
もし仮に不合格でしたと言われても、
その方にとっての無念は共に感じても
自分の責任とも思いすぎることもありません。
だから、私の関わった環境で
やる気スイッチを入れていただけたなら、
「おめでとう」よりまず、
「役立ててくれてありがとう」という感謝の気持ちが
湧き上がってくるのでした。
これをお読みいただいているあなたは、
変えられない物を変えようとしていませんか?
あるいは、自分が変えたのではないのに、
あたかも自分が変えたかのように
勘違いしていそうなことはないでしょうか?
良くも悪くも、他人は変えられないのであります。
【この言葉を自分に言ってみよう!】
「親切が自惚れにならないようにしよう」
直接ヘルプではなく、やる気スイッチを
入れやすくなる環境づくりをサポートしているだけ。
そう思えると、変われない他人に腹を立てることも減ります。
本来追うことができない責任を、
無理やり負おうと、人間関係は
ぎすぎすしたものになります。
変えられない自分を認めましょう。
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