違うから聴く意味がある

7月にビジネスの勉強のための合宿で長野県の茅野(ちの)に行ってきました。

そのとき主催者側のコーディネーターとして来てくれていたスタッフの方が、
本業がプロカメラマンの方でして。

食事の際のお料理や観光の様子を逐一カメラで残してくれました。

その時、使っていたカメラは大それたものではなく、長い日程持ち運ぶということで
家庭にもありそうな結構コンパクトなカメラだったのですが、やはりプロ。

パソコンに取り込まれた出来上がった写真を見せてもらうとさすが!とうなりたくなる
(そして自分もそのカメラが欲しくなるような)
臨場感ものすごくきれいに撮れているのでした。

「なんであんなに素敵に取れるのだろう???」

と気になってしまいまして。

期間中、勉強や観光よりもそのカメラマンさんの撮り方をずっと観察していました。

そして合宿の最後、諏訪大社上社に観光に行きました。

上社は高さ15メートルほどの「御柱(おんばしら)」があることで有名ですね。

御柱の前でみんなで記念撮影をしました。

その時のカメラマンさんの動きを見て「おや?」とある事に気がつきました。

カメラマンさんは、私たちを撮るために、カメラを持った手を地面ギリギリまで下げて、
御柱のてっぺんまで見える用カメラを上に向けて撮影していたのです

いくら高い御柱といえども私がもし撮影するなら、
せいぜいしゃがんで撮っておしまいだろうと。

その瞬間、なぜ感動的な写真がとれるのか?
一つ理由がわかった気がしました。

写真に感動できた理由・・・

それは「自分の常識の中にはない情景だから」であります。

素人でもプロでも写真を撮るときはみんな「いい写真」を撮ろうとしますよね。

では「いい写真」とは何か考えてみると、「他にはない写真」のことではないでしょうか?

つまり、自分とは違う、他にはない、常識的でない写真だからこそ、
見たときに日とは驚き、感動し、その写真のことはいつまでも記憶に残ります。

そんな写真を見たときに「俺の知っている常識と違う!」と文句を言ってくる人はいないでしょう。

自分の常識にないからこそ見る価値が生まれ、感動するのです。

これは人の話を聴く原理と全く同じだなと。

・・・

話を聴いている最中、自分の意見と逆のことを言われるとつい
相手の話をさえぎって、割り込んで、自分の意見で修正しようとする人がいます。

まさにそれは「俺が見たことがある写真と違う」とクレームを入れているようなものです。

自分とは違う意見、自分が見たことがない世界の話だからこそ聴くに値するのですし、
聞いたときに、驚き、感動、発見があります。

「知らないから面白い」
「違うから価値がある」

そういう感情を持って聴くからこそ感動し、記憶され、相手に対する理解が深まるのでしょう。

自分の常識の範囲内の話など聴いても、学びも何もありません。

だから人の話をさえぎって、自己主張することなど意味のないつまらないことなのです。

写真や映画同様に人の話を聴くときも自分の知らない世界を楽しめるといいですね。

もしそれをさえぎってまで、自分の世界を披露し引きずり込みたいのだとするなら
それは相手の問題ではなく、相手を従わせたいとか、
違いを受け止められない自分の心の問題であります。

心が伴っていないのに、表面的なスキルで相手への接し方だけ
変えて見せようとしても無駄ですね。

傾聴に限らずコミュニケーションスキルというものは
それを使う人の心がいい状態に整っていて、はじめて使いこなせます。

コミュニケーションスキルをちゃんと使いこなしたいならスキルの
練習と合わせて、それを使う自分の「心」を知らない世界、
違う世界を受け入れて興味が持てる心でいられるよう同時に練習するのがおススメです。

見た事ない写真には感動する。

聴いたことがない話にも感動する。

「自分とは違う」「自分は知らない」というのは素晴らしいことです。

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