びっくりした。
朝、中学1年生の娘が、急に書斎に入ってきて、黄色い紙を差し出した。
「コレ書いて欲しいんだけど」
何かと思って見たら、生徒会の書記への立候補用紙だった。
(あれ?そんな趣味あったっけ?)
人見知りで団体行動が苦手なはずの娘の、意外な行動に脳の中は混乱していた。
「面白そうかなぁと思って」
そういう娘の心の裏に、きっと何か別の理由がある気もするけど、気にしてないそぶりをしながら保護者欄にサインをしようとした。
・・・
夏休み前から、学校を休みがちだった娘も、ここ数日学校に続けて行っている。
「書記になるような人は、毎日学校行かないといけないと思うけどそれでいいの?」
「うん。それは大丈夫だと思う」
どこから沸いて来るのかわからない、その自信に若干の不安を覚えた。
この数ヶ月の暮らしぶりを見ていると、何を信じていいかわからない。
けど、とにかく本人がやると言っている。
「では、君を信じるということで・・・」
そういいながらサインをした。
・・・
人生いい時も、悪い時も「このままこの生活が続くのではないか」と思うと不安になる。
でも10年経って、10年前と同じ不安がそのまま続いていた例はない。
いま感じている不安は、たしかに「いつか」は消える。
でも、いつか変わるのを信じようとしても、それがいつまでなのか分からないと、不安を払拭できない。
期限が決まっていないストレスを抱え続けられるほどタフな人はいない。
でも、実際は、不安は無理になくそうとせず、抱えたままでも、今日1日を何とか元気に過ごしていれば、やはりいつか転機となる日が来る。
今日頑張るといった娘が、明日また頑張るというかはわからない。
何を信じていいのか?何を疑っていいのか?誰にもわからない。
何かを信じて裏切られた経験なんて、腐るほどある。
でも、1つだけ、間違いなく信じてもいいことがあると思っている。
それは、子どものやること、それが親にとって都合がいいと思われる行動でも、そうではない行動でも、
「娘は娘自身を、いつも生かそうとしている」
娘自信が自分の中に持っている、自身に対する誠実さ、
・・・別の言い方をすれば「自分に対する愛」が、いつでも存在していることだけはいつも信じている。
娘が生まれて12年、そこだけは自分の中でブレたことがない。
さきほど、私は「では君を信じると言うことで・・・」と言った。
その「信じる」とは、まさにその意味。
選挙が途中でイヤになって、投げ出すかもしれない。
当選したら嬉しいかも知れないけれど、その後の実際の活動は大変で嫌になるかもしれない。
落選して複雑な思いを経験するかもしれない。
学校にもっと行きたいと思うかもしれないし、もっと行きたくないと思うかもしれない。
でも、結果や行動の良し悪しに関係なく、
「君が君のことを、いつでも大切にしていると信じています」
・・・
記名が終わったちょうどそのタイミングで、友達が迎えに来てくれたチャイムが鳴った。
返事をし、出かけようとする娘に、私は一言いった。
「お父さんは話し方の先生もしている。もし選挙とかで人前で話す機会があるなら、どうすれば人に思いが伝えられるか話し方の形をレクチャーすることはできる。必要なら言って。」
すると、娘は珍しく茶化すことなく
「じゃあ、必要ならお願いするわ」
といって、出て行った。
ほんの昨日まで、ケンカが絶えず、そんな素直な言葉が聞けるとは思っていなかった。
ここ数ヶ月の心労が、一気に吹き飛んだ気がした。
明日は明日の風が吹く。
でも今日は今日の風が吹いている。
きょう吹いている風の心地よさを、十分に楽しもうと決めた。
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